『さいしょ』とはどういうものだろう。
	まず、このサイトにとって、これが最初のまとまったテキストだ。
	最初、だの。はじめ、だの。
	たいていのひとは、そこに特別な意味を見出そうとする。
	ぼくもその一人だ。
	だからこうして、普段意識もしない『ことば』に丁寧に触れる、
	その手ざわりを確かめてみる。
	
	すこし恥ずかしい
	そして、どうも、嫌な予感がする。
	まったく反対に、たのしいことが起こりそうな気もする。
	いつか、こんな場所を作ったことに、腹を立てるかも、
	すすんで恥を晒すなんて馬鹿馬鹿しいことだし、
	ほかならぬ将来の自分に軽蔑されるかも。
	
	とはいえ、事ははじまってしまった。
	
	『続けなくちゃいけない、続けよう。』
	
	と、サミュエル・ベケットは『名づけえぬもの』の最後に書いた。
	そこには前向きさも、後ろ向きな気分もない、
	なにかを貼りつける事はできても、そこに真も偽もない、
	表も裏もない、ただ“そうである”。
	こればっかりはどうしようもない。
	恒常性のあるもの、すべてにあてはまる、
	続けなくちゃいけない、続けよう。
	
	飯を食おう。うそをつこう。楽しんで悲しんで、なにもかもいやになろう、
	セックスをしよう、同じくらいに恥らおう。寂しくなったり、退屈したり、
	なんてくだらない、おもしろくもなんともない。
	問題ない。これでいいのかな、もうだめかもしらない。もうおしまいなのかな、
	そのとおりだ。そんなわけはない。うまくすべりだしたな、ああ、
	始まってしまった。
	終わるのは骨だぞ、最後のギャロップはいつになるかな。
	
	続けよう、続けなくちゃいけない。
	終わるまで、終わる事が許されるまで、
	『おわり』なんてものの意味もわからないのに。
	うん。